2017年1月12日

最愛の父を見送りました

すっかりご無沙汰してしまいました。


昨年春から突然の介護生活に突入していました。
何年も前から覚悟はしていたはずなのに、いざその時が来るとやっぱり動転してしまいました。

高齢者にはよくある体調悪化の原因である二つの症状。
尿路感染症と誤嚥性肺炎での入院、退院、また入院の繰り返しの日々。

どちらも免疫力の低下で起こるので、完全に予防することはできないそうです。


父は病気ひとつしたことなく、90歳にして初めての入院でした。

元気でいてくれたおかげで私も勝手気ままの生活ができていたんですよね。

入院したタイミングで、介護認定の申請。
ケアマネとの打ち合わせ。
自宅介護するべく、実家の大掃除。
在宅医療の先生、訪問看護師さんとの打ち合わせ。
などなど…やらなきゃならないこと無限∞

20年近く前に祖母の介護をした時よりはだいぶ進化したけど、やっぱり大変。

ま、一番大変だったのは、医療的なこと、役所的なこと、日常的なことまでも母にわかりやすく説明することでした。
来る日も来る日も何回も何回も…。

気が合わないのか、女同士で遠慮がないからなのか、時には声を荒げて反撃して来る母に対抗して気がつくとこちらも強い言葉で応戦してしまい、ベッドに入ってから反省する日々。


3回目の退院の後、まる5ヶ月自宅介護しました。

月に2回診てくださるドクターと週に2回来てくれる看護師さん。
不安な時にはメールや電話で対応してくれ、緊急時には夜中でも駆けつけてくれる。
とても心強かったです。

父は自分が具合悪くなってからも、常に穏やかでわがままを言うこともなく、私の下手くそな看護にいつも感謝してくれてました。
自分の心と体が思うようにならない苛立ちがあったでしょうに、ありがとうって言えるってすごいことだと我が父ながら尊敬します。


父は、最初に救急車で運ばれる数十分前まで自宅で仕事していました。

最晩年まで仕事に邁進していた父なので、普通の家族のように家族で楽しむ時間がずっと少なかったと思います。

しかし長い人生の最後の半年を、仕事から完全に離れ家族のためだけの時間に残しておいてくれました。
それは被介護者と介護者の立場でしたが、本当に濃密な時間でした。
人生の糧になるほどに…。


11月の初めに3回目の誤嚥性肺炎で入院。
残された時間がとても少ないことは家族全員がわかっていました。

私たちにできることは、いかにして、父の尊厳を保ったまま旅立ちの日を迎えさせてあげるかを考えることでした。

それはとても辛い決断でしたが、いかなる延命治療も行わないと言う選択をしました。

そして、これは私のわがままだったのかもしれませんが、出来れば自宅で見送りたい!

日々目に見えて弱っていく父。
母と姉、兄、夫、みんなを説得し、なんとか少しでも延命しましょうと色々提案してくださる病院の医師に希望を伝え…最後には皆私の希望を聞いてくれ、1日でも自宅で過ごせるよう退院に向けて努力してくれました。


前日まで意識レベルが低下して呼びかけにも応じなかった父が、退院した日には奇跡的に意識が回復し、自宅に戻れたことをとても喜んでくれました。
来る人来る人に笑顔で手を振っていたほどで、在宅医の先生が
「家族の力ってすごいね!感動したよ」と言ってくださったのが今でも耳に残ります。


自宅に戻ってから三日目の朝、父は静かに旅立ちました。

大好きな自分の家で。
家族に見守られながら。
まるで笑っているように穏やかに。


10年前に父と約束したんです。
「パパはどうやって死んでいくのかな。考えると恐ろしくなる…」
「パパが死ぬ時はジュンコがずっと手を握っててあげるから、そしたら怖くないでしょう?」
「うん!お願いします笑」

その時の約束を私は果たせたのかな。


私は父親っこじゃなかったけど、父は私っこだった。

世界で一番私を求めてくれた父。
世界で唯一私を特別だと言ってくれた父。

パパ、ありがとう。


パパ、ありがとう。
パパ、ジュンコ寂しいよ。




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